横根の廻り舞台

泰平の世と言われた江戸時代の後期、文化・文政年間(1800年代前半)、世の中は次第に華美になりました。民衆の間で娯楽が広がり、村の祭り目当てにやってくる旅芝居や旅芸人が人気でした。そのうち、村人たち自身の芝居も発展し、祭りでは臨時の舞台が建てられ、客はむしろを持って来て席をつくり、重箱のごちそうを食べながら観覧しました。次第に専用の舞台も設けられ、中には「廻り舞台」を備えたものもありました。

廻り舞台とは、文字通り回る舞台です。舞台の中央部に、回転する部分があり、演劇中、場面転換に使われます。歌舞伎の舞台の作り方で、後にジャポニズム嗜好のヨーロッパに輸出され、オペラの舞台に用いられました。

 廻り舞台は、大掛かりな装置であり、技術と資金が必要で、そう簡単に建てられるものではありません。しかし、そのひとつが、明治5年(1872年)長野県佐久市横根に作られました。楽屋、はやし部屋、花道その他が完備していて、いなかには珍しく立派なものだったそうです。

 明治初期と言えば、恐慌とまではいかないまでも、控えめに言っても混乱の時代です。武士の時代が終わり、明治政府に権力が移行しました。新しい法律が次々に出され、「朝令暮改」という熟語を残したほどでした。新政府は、西洋化路線の大変革を夢見ましたが財源がなく、結果として新しい税制は農民に重くのしかかり、佐久地方でも一揆や騒動が起きました。

 しかし不安定な時代に、いなかの横根で、演劇のために大金と労力を惜しみなく注いで大規模な廻り舞台を作った人たちがいました。たくましさに驚きます。そこには多くの人が集まり、楽しいひと時を過ごし、また村人たちの交流の場となったことでしょう。  激動の時代でも文化を形成し、人の交流を促した横根の人々がいました。横根の会堂を、イエスさまの必要に応え、人々の集まる場所にしていくために、時代に負けない御霊の力を与えてくださいと祈ります。(2026年4月19日週報)

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