「それからキリストは来られて、遠くにいたあなたがたに平和を宣べ、近くにいた人たちにも平和を宣べられました。私たちはこのキリストによって、両者ともに一つの聖霊において、父の御元に近付くことができるのです」(2:17、18)。
昔、深い峡谷に吊り橋を架けるにはどうしたか、ご存知ですか。対岸に向かって、空中に少しずつ橋を作っていくというわけにはいきません。そこでまず、対岸に一本の細いロープを渡します。そのロープによって二本目、三本目、そして順により太いロープへと渡していきます。それが十分に固定できたら歩く部分の板をつけます。こうして誰もが楽に渡れる橋になります。しかし問題は、最初の一本を誰がどう渡すかです。対岸に誰もいなければどうにもなりません。
創造主なる神と罪人の間にも、「遠く離れた」「大きな淵」があります。罪人の側からはどんなに努力しても、そこに橋を架けることはできません。人間には最初の「一本の細いロープ」を渡す術(スベ)すらないのです。そこで主なる神からイニシアティブを取ってくださいました。
つまり御子キリストがその淵を越え、罪人の側に渡って来て、神との和解の架け橋を築いてくださったのです。私たちはこの架け橋によって創造主とつながりました。永遠のいのちの橋です。実は、神はキリストを送るおよそ2000年前、イスラエルの先祖アブラハムを選び祝福の契約を結んでおられました。それが最初の「一本の細いロープ」と言えるかもしれません。ついでモーセ契約、ダビデ契約というロープが順に渡され、最終的にキリストによって新しい契約が結ばれたのです。この新しい契約によって平和が完成しました。イスラエル(ユダヤ)人も非ユダヤ人も聖霊において一つにされ、共に神に近づくことができるようになりました。神と人との和解の橋渡しには長い年月がかけられているのです。
すべての平和はここから始まります。神との和解からしか平和は築けません。自分の造り主と和解しないままで、平和を作ることはできないのです。

