<付録>
天地万物を創造し、人間を造ったのが神なら、その神を造ったのは誰か。いつどこで神は生まれたのか。神は天地万物を創造する前は何をしていたのか。
神の存在に関する定番のような質問です。
人間の側から、神の存在について考えるなら、当然生まれる疑問でしょう。私が、まだ人間視点で聖書を読む傾向が強かったときは、以下のように答えていました(拙著『すっきりわかるキリスト教』)
「・・・クリスチャンが信じる聖書の創造主なる神は、もちろん人間の想像の産物ではありません。では、その聖書の神というのは誰が造ったということになりますが、誰も造りはしないと答えるほかありません。神は造られて存在しているのではないのです。
このことに関しては、以下の二点だけを述べておきましょう。
1.神は唯一の存在
神はただおひとりです。その唯一なる神を造ったのは誰かと問うのは、実に無意味であり、また質問自体が矛盾しています。唯一の神を創造した創造主がいるとすれば、もはや唯一の神は唯一とは言えなくなります。仮にそんな二番手の創造主を認めたりすると、さらに「では唯一の神を創造した創造主を創造したのは誰か」と問わなければならなくなります。そして、この質問は無限に続くことになります。
2.唯一なる神は因果法則に支配されない
神を創造したのは誰かという質問の背後には、「宇宙に存在しているもののすべて、そしてそこで起こるすべての事象には、必ず原因があり、結果がある」という考え方があります。こうした因果法則はニュートン力学の世界では通念として成り立っていますが、量子力学の世界ではもはや成立するものではなくなっているそうです。そもそも地球という三次元空間の中での習慣や感覚で得た法則を、宇宙の創造者なる神自身に適用することは適当ではありません。いやむしろ、三次元空間の時間の流れの中に、創造主なる神を引きずり降ろして、そこでしか通用しない因果法則を創造主にも適用しようとするのは、不遜であると言えましょう。神が存在するのは、何かの原因や作用の結果ではありません。
神は永遠なる存在です。永遠とは、変化していく時間の流れの中にはないということです。すべて時間の中にあるものは始まりと終りがあります。しかし、永遠なる神には、始まりも終りもありません。造られることも生まれることもなければ、死ぬこともありません。神は、この宇宙の変遷とは無関係に、ただ存在されるのです。神は存在そのものであり、その他のすべての存在をあらしめた根源的存在です。
では、今ならどう答えるか、です。
「いつどこで神は生まれたのか。神は天地万物を創造する前は何をしていたのか」という質問自体が成り立ちません。人間の頭の中で考えての問いにすぎないからです。
神の側からすれば、つまり、神ご自身がこの質問に答えられるとすれば、ただ「『私はある』という者である」(出エジプト3:14)、という応答で終わりでしょう。

