聖書を黙想する

東京で電車に乗って、何かの都合で定時刻より1、2分遅れることがあります。すると、「この電車は〇〇駅で〇〇があったため、〇分遅れで運行しております。お急ぎのところまことに申し訳ありません。うんぬん」と、車内アナウンスが繰り返されます。次の駅に近付くたび、そして発車するたび、同じアナウンスがまた繰り返されます。下車駅に着くまでに、いったい何回聞かされることか。必ずしも必要なアナウンスだとは思えません。親切心なのか、クレイム回避のためなのか、それともアナウンス自体を楽しんでいるのか。

さらには「携帯電話での通話は、周りのお客さまの迷惑となることがありますので・・・」というアナウンスまでもが入ります。ケータイの話し声のほうがまだ静かだと思ってしまいます。

日本で数年暮らして母国に帰った外国人が、日本の歌と車内アナウンスは今でも口ずさめると言っていました。まことにうなずけます。

ところで、「神の声を取り次ぐ声はか細いが、世の長(サタン)の声は拡声器で語られる」と言われます。しかも、サタンの声は繰り返し語られるので、覚えなくてもおのずから口ずさめるようになってしまいます。

なのに、聖書の言葉は意識して覚えようとしても、なかなか覚えられません。なぜでしょうか。か細いし、繰り返すことが少ないからです。

佐久GCCの、今年のテーマ聖句はへブル書12章1、2節です。私たちは朝食の前に唱えています。皆さんは、もう覚えられましたか。覚えたら、創世記12:1-3、マタイ28:18-20、使徒1:8なども唱えてください。 ところで、黙想とは、黙って目をつむって、心の中で考えることだけを意味しません。むしろ、主に向かって繰り返し、声に出して口ずさむことが黙想です。詩篇1篇2節のとおり、「主の教えを喜びとし、昼も夜もその教えをくちずさむ」のです。ご自分の心にとまる御言葉を、朝夕、声に出して黙想しみてください。その結果どうなるか。それは、皆さんもご存知のこと思います。「その人は、水路の側に植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は何をしても栄える」。(2026年5月3日週報)

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