ハニーノート ルカの福音書①序文

紀元70年、ローマ軍によってエルサレムが陥落したとき、ユダヤ人の多くが虐殺されました。生き残った人々は国外に離散していきましたが、どこに行っても、差別、虐殺、財産没収、さらなる追放が待ち構えていました。彼らの中には、その迫害から免れるために、非ユダヤ人と混血し、その国に同化した人々もいました。

しかし、大半のユダヤ人は、どこの国で育とうと、ユダヤ人としてのアイデンティティを失うことはありませんでした。祖国離散から1900年間、自分の国を持たず、母語を失い、皮膚の色まで変わってしまったのに、それでもユダヤ人として生き続けたのです。それはまさに歴史の奇跡と言えます。

彼らがユダヤ性を保つことができた要因はいくつかありますが、その中でも大きいのが、トーラーによる幼児教育でした。トーラーとは、主の教え、つまり聖書です。親は、子がまだ幼い時にしっかりと神の言葉を植え付け、主の教えに基づいた生活習慣を身に付けさせたのです。文字が読めるようになったら、もう聖書教育をします。

クリスチャン家庭においても、幼児教育はとても大切です。クリスチャン家庭の子供たちがクリスチャンとして育っていったなら、教会は自ずから成長するのです。しかし、現実は教会から子供の声が消え、高齢化し、礼拝出席者数も教会数も激減しています。

クリスチャンの親御さんの中には、「何を学ぶかはその子供の自由だ。親が決めてはならない。世のいろんな教えに触れさせよ。聖書中心で教育したら視野が狭くなる・・・」と考える方が少なくありません。それは、ほんとうに聖書の教えに立った考え方なのでしょうか。そんな教育の仕方をしていたら、ほぼ間違いなく世に呑みこまれ、社会の色に染められ、人間中心主義の歪んだ世界観や価値観しか持てなくなります。

たいていの親は、子供が成長するにしたがい、親の言うことを聞かなくなるという体験をしています。では、親の言うことを聞かない子供たちは誰の言うことを聞くのか。それは学校の仲間や先生や、ソーシャルメディアの言うことです。なぜ彼らの言うことを聞くのか。仲間外れになりたくない、世の流れに遅れたくないからです。そうして、聖書の語ることには耳を傾けなくなります。

そうなることは、最初からわかっているはずです。なぜなら親自身が体験してきたことだからです。でも、親になればそれを忘れたかのように、「まず世のいろんな考えに触れさせよ、聖書中心で教育したら視野が狭くなる」と、やはり同じこと言い出します。なぜか。親自身が世の中の風潮に育てられているからです。

今日、日本の多くの教会から教会学校が消えています。教会学校に通っている子も、中学進学とともに教会を離れていきます。親も教会も、幼児教育を怠ってきたからでしょう。大人だけの教会、大人中心の教会はやがて高齢化し、衰退します。大人への伝道は大切ですが、世俗の理屈に固まった大人の心はなかなか柔らかくならず、聖書に沿って矯正するのが至難です。

さて、私たちは10年、20年後の教会に思いを馳せ、子供の聖書教育に力を入れています。パウロが見込んだ年若い同労者テモテは、父親はギリシャ人ですが、祖母ロイス、母ユニケによって「幼いころから聖書に親しんできた」(Ⅱテモテ3:15)人でした。基本ができていたので、パウロも育てやすく、一緒に働きやすかったことでしょう。私たちも、そんな「テモテ」を育てたいのです。

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